浅葱
2018.03.20

Dのシンガーである浅葱がリリースした初のソロ・アルバム『斑』。和がテーマであることは事前にアナウンスされていたものの、実際に本作を耳にして、多くの人がその高い完成度と充実した内容に驚かされたに違いない。総勢40名というゲスト・ミュージシャンの顔触れも豪華だが、それ以上にコンセプターである浅葱の無尽蔵と思えるポテンシャルが発揮されている。
愛すること、生きること、そして死ぬこと。彼はどのような完成図を思い描いていたのか、その制作過程においてどんな心情の変化があったのか。新たな世界観を鮮明に打ち出した浅葱が、自身の歩みを振り返りながら、本作に込めた思いや創造性の発露を告白する。

  ――驚くほどタイトなスケジュールで制作していましたよね。
浅葱:過酷でしたね。Dとして活動している中で、14曲もの別プロジェクトをやってたわけですからね(笑)。
――ええ。作詞作曲をするだけでも大変なのに、曲によって参加ミュージシャンが全然違う。40名もの大勢の人が参加するアルバムというのも、なかなか珍しいですし。ところで、今回の『斑』の発端はどこだったのでしょう?2016年4月にソロ・シングル『Seventh Sense/屍の王者/アンプサイ』をリリースした時点で、近いうちにアルバムを完成させたいという発言はありましたよね。とはいえ、あのときは“和”といったテーマ設定はありませんでした。
浅葱:そうですね。当初は2016年の冬にはシングルの3曲を含めた、僕の好きな世界各国の民族音楽の要素を採り入れたようなフル・アルバムを出したいなと思ってたんですよ。その中で、まず和の曲のイメージがあったので、日本から始めようと思って、「月界の御子」を作ったんですね。これはかぐやの血を引く子孫、かぐや姫の孫の話なんですが、かぐやが月に戻るときに、地球にいたときの記憶は消えたと言われていますよね。ただ、僕の中では、実は強く記憶に刻まれていて、消えたふりをして月に戻っていったという物語が浮かんでいたんです。そして、その地球での記憶を聞いていた孫が、地球に憧れを抱くようになった。月の世界では不老不死なので、長い年月、月で暮らしている中、地球への思いが募っていき、ついに“月界の御子”が地球にやってくる。そして、地球の女性の恋をする。
そういったストーリーなんですね。竹とかぐや姫は切っても切り離せない関係だと思うんですが、竹の花というのは、一生に一度しか咲かない、咲くとなぜかその一帯が枯れてしまうみたいな不思議な一面があって。だから一生に一度の恋というのを竹の花にたとえたりしています。そんなある日、月から迎えがやってくるんですね、「帰ってきなさい」と。ところが、御子はそれを追い返すんです、天の羽衣を自らの刀で断ち切って。そこは自分の道は自分で切り開くものだというメッセージを込めたシーンなんです。
ただ、御子は不老不死ですから、恋をした地球の女性と永遠に一緒にいられるわけではない。じゃあ、看取った後、地球に残った御子に何をさせようかなと思ったときに、妖怪退治をさせようと考えたんですね。そこで見えてきた世界観が「物の怪草子」だったんですよ。さらに、物の怪退治で使う武器としての刀をフィーチャーした曲を作りたいと持って生まれたのが「妖刀玉兎」だったんです。
そこで、待てよと。世界各国を旅するようなアルバムの構想の中に和の曲が3曲も入ってきたわけですから、最初に思い描いていたものとはちょっとズレてきたなと思って、ひとまずは「月界の御子」をタイトル曲にしたシングルにしようとも考えたんですよ。ところが、完全に和のモードに入ったときに、他にも物語がたくさん書けるなぁと思い始めたんですね。こんなに和の世界が一気に溢れてきそうなんだったら、そのままフル・アルバムにしようと、制作を進めながら、だんだん変わっていったんです。
――それが面白いですよね。浅葱くんらしいとも言えますが、「月界の御子」という一つの起点から、関連するような物語が次々と生まれていった。
浅葱:出てきましたね。「物の怪草子」が生まれて、自分のアルバムの世界の中に、物の怪というものが出てきた。そこで今度は、物の怪、つまり妖(アヤカシ)の目線の曲も欲しいなと思い始めて。九尾の狐は面白いなとか、雪女の話や、和的な人魚の話も良さそうだなとか、ニホンオオカミの妖の話もいいなとか、ホントに溢れて出てきたんです。Dにも「桜花咲きそめにけり」(2007年)という曲がありますけど、それの前日譚、後日譚も書きたいなと思ったときに見えてきたのが、「花雲の乱」と「隠桜」の世界観で。だから、一つずつ確実に仕上げていった感じですかね。
――「花雲の乱」と「隠桜」は「桜花咲きそめにけり」とのつながりだったんですね。
浅葱:そうですね。「桜花咲きそめにけり」もそうですし、「夢想花」(2008年)や「我が敵は我にあり」(2010年)とのつながりもありますね。「桜花咲きそめにけり」は主人公が思いを伝えないまま亡くなってしまうので、それだけで終わらせたくないなという思いもあったり、その2人の若かりし頃のストーリーを書きたいなと思ったのが「花雲の乱」なんですね。その2人の思いが強いゆえに、男は鬼、女は桜の精という妖となってやがて結ばれる。それが「隠桜」ですね。
――なるほど。『斑』を最初に聴いたときに、とんでもないアルバムを作ったなと思ったんですよ。それはどういう意味かというと、浅葱くんはどこまで自分の創作分野を広げていくのだろうとも思いましたし、そもそもそれを実現するには、その前提として、自分の中に相応のインプットがなければできない。つまり、これほどまでに古来日本の歴史や伝承の要素が、すでに浅葱くんの中に取り込まれていた事実にまず驚かされたんですよ。1~2曲なら誰でも可能かもしれませんが、一気に14曲ですからね。
浅葱:ホント、そうですね……。だから、今の自分としてやり切ったなというか、自分の音楽人生の中でも最高傑作ができたなという思いがやっぱり強くて。今回はソロですし、特に初アルバムとしては、とにかく自分らしい、自分にしかできないものを作りたい思いがすごく強かったんですよ。もちろん、これまでのDの活動でもおわかりいただけるように、海外の様々なものにも興味がありますし、表現したいことはたくさんあるんです。ただ、日本の歴史だったり文化だったり、日本に生まれ住んでいるからこそ感じる深みだったりとか、そういったものを表現するべきなんじゃないかなって、今回の制作の途中で思い始めて。
実際に制作してみると、育ってきた環境なども強く影響してくるなぁと改めて思いましたね。それこそ自分にしかないものだと思うんです。たとえば、「畏き海へ帰りゃんせ」は特にそうですが、自分が育った故郷の日本海が、やっぱり思い浮かぶし、曲の背景にあるもの……僕が生まれた秋田は雪も凄いですが、だからこそ冬椿とかも鮮明に思い浮かべることができたし。桜にしてもそうですよね。桜が舞っているのを見て、「花雲の乱」の物語を頭の中で描くことができたし。そこは深層心理でもあると思うんです。振り返ってみたら、子供の頃は『まんが日本昔ばなし』がすごく好きで、結構欠かさずに観てたんですよ。それは海外のアーティストにはほぼないことだと思いますし。だから、まさに自分というものが(作品として)できたんだなと思って。
――わかります。とはいえ、日本で育ち、『まんが日本昔ばなし』を観ているだけで、こういった世界が生まれてくるのかというと、そんなに簡単なものでもないと思うんですね。今回は「白面金毛九尾の狐火玉」という曲も収録されていますが、実際に日常的に九尾の狐が話題に出てくることなどないですから。浅葱くんは普段から聖書を読んでいることも公言していますが、古事記なども読んでいるのではないかと思えてくるわけですよ(笑)。
浅葱:ははは(笑)。それはいつの間にか(知識を得た)としか言えないですが、表現者としては、様々なことから刺激を受けるんですね。感性を刺激されたときの感情の動きって、すごく曲作りに向いているというか、その瞬間に曲や物語を書きたくなるんですよ。だから、ちょっとした気持ちの動きをすごく大事にしているんですけど、そのためには日本の歴史や物語なども、自然に知りたいと思うし、知るからこそ、表現できるようになる。
その表現の広げ方にもいろいろあって、たとえば、もともと僕は動物がすごく好きですけど、動物の目線になって、いろんなことを考えるのも好きなんですよ。「白面金毛九尾の狐火玉」にしても、狐になって飛び跳ねているような感覚で、そこに人間がやってきてみたいなことを考えるんですよね。だから、物語のベースとなるものはあったにしても、そこに自分の感情を投影させて描く物語だからこそ、自分ならではのものになっているんだろうなぁとは思います。
「白面金毛九尾の狐火玉」に関して更に言えば、とにかく“9”にこだわりたかったんですよ。だから、9拍子の印象的なフレーズで、狐っぽいのを考えたいと思ってたら、パッと出てきたんですね。なおかつ、アルバムの9曲目にしようと(笑)。プロデューサーの岡野(ハジメ)さんには、「この曲は個性的だし面白いから、4曲目辺りに持ってきたらどう?」って言われたんですけど、「すみません、これは9にこだわりがありまして」って感じで(笑)。
――ははは(笑)。拍子にしても浅葱くんらしいこだわりですよね。
浅葱:そうなんですけど、この曲に関しては、びっくりしたことがあって……実は歌詞が出来上がったのが9月9日だったんですよ! 気づいたときには、ホントにザワって鳥肌が立ちましたよ。
――それはまた凄い話で……ひとまずは妖怪の仕業ということにしておきますが(笑)、浅葱くんの場合、実際にそういった予期せぬ一致は、今までもしばしばありましたから、何となく納得してしまうエピソードでもありますよ。
浅葱:そうですね(笑)。いずれにしても、入り込んで表現することの大切さは痛感しますね。だから、常に自分の表現を客観的に考えるようにしてて……この曲の最後の“こう!”っていう抜ける部分も、九尾の狐は女性だから、ファルセットで高く抜けようとか、そういうこだわりもありましたね。それから今回は歌詞を古語で綴ってますけど、古語って自分のコアな表現がすごくやりやすいんですよね。
――それはどういう観点なんですか?
浅葱:自分の深いところでの表現ですね。上手くオブラートに包んでくれるんですよ。たとえば、<生けながら作りて食はむ>とありますけど、生きたまま食ってやろうかという、現代語での直接的な表現とはまた違う、さりげなく残酷なことを表現できると言えばいいんですかね。僕の中では、よりリアリティのある表現が、より自由になるのが古語だったんですね。そこはすごく楽しかったです。
――確かに言葉の余韻を含めて、そういった面もあるかもしれないですね。
浅葱:そう。意訳と歌詞を照らし合わせたら、すごくそれがわかりやすく伝わるんじゃないかな。全曲の随所にそういうところがあるんですよ。
――歌詞を古語で綴っているのも本作の特徴の一つですが、全編をそういった文体で書いていくのも、なかなか容易なことではないですよね。
浅葱:そうですね。もちろん、古語は好きだったんですけど、最初はこれを作り上げるのに、どれだけ時間がかかるんだろうって不安になったりもしたんだけど(笑)、普通の言葉遣いじゃない表現に照らし合わせていく作業にとにかく夢中だったんですよね。そうしているうちに、改めて古語の美しさだったりというものに感動したりして。まさに温故知新でしたね。
――もちろん古語ネイティヴではないわけで、書きながらも学びを深めていく中で、それが自分の表現として、いかに有効に機能するかということを実感していったと。
浅葱:そうなんですよ。特に俳句や短歌は、五七五とか五七五七七という形があり、その中に深いストーリーがある。その表現って、すごく自分に近いなぁと思って。普段から、メロディに合う言葉数に物語を凝縮して表現するというやり方をしていますけど、俳句や短歌というのは、その究極なのかなと思いましたし、その美学の延長線上に、自分の歌の歌詞の表現があると感じ始めたら、すごく楽しくなってきて。昔の人たちは、こういう気持ちで、五七五の形態で表現するところに美学を感じてたんだなぁって、自分も昔の人たちリンクしたような気持ちになりましたね。
――とても雅やかな遊びとも言えそうな作詞作業だったんですね(笑)。
浅葱:ホントにそうでしたね(笑)。ハマったときの嬉しさがすごくあって。
――古語にはいつ頃から興味を抱いていたんですか? だいたい中学校に入ると、国語の授業で古文が出てくるでしょう?
浅葱:そのときから好きでしたね。没頭したり集中したりすると……ホントにのめり込む性格なんでしょうね。だから、小学校のときは、国語の教科書の割と長い物語を丸暗記してたんですよ。何か目標を持ってそこに夢中になるっていう性格は昔からだったんですね。今は絶対にそんなことできないですけど(笑)。
――意外とできるんじゃないですか?(笑) 好きな古典作品というのもあるわけですか?
浅葱:うーん……何だろうなぁ。沢山好きなものはありますね。
――なぜそれを聞いたかと言うと、「月界の御子」のベースが『竹取物語』ということは、今後、何かしらの物語が楽曲の題材になることも大いにあり得る気がするからなんですよ。
浅葱:そうですね。「月界の御子」もそうですけど、一回、入り込んで曲を作っちゃうと、その主人公がどんどん曲の中で動いていくんですよね。だから広がり続けるんだろうなぁって。
――その意味では、“月界の御子”が、Dで浅葱くんが描き続けてきたヴァンパイア・ストーリーの中に登場することもあるかもしれないとも思わされますよね。普通に考えたらなさそうではあるんですが(笑)。
浅葱:ははは(笑)。でも、確かにどちらも不老不死ですからね。だから、偶然の出会いもないとは言えないですけど(笑)、強引な設定はしたくないんですよ。そこはきちんと考えたいですし。これまでもそうなんですが、つながる瞬間が不思議と訪れるんですよね。実は「月界の御子」に関しても、16~17年前にやっていた胡蝶という和ユニットのときに、「輝夜(かぐや)」という歌詞を書いてるんですよ。当時も何かつながるストーリーが書けそうだなとは思っていたんですけど、あるとき満月を見ていて、「月界の御子」のストーリーが思い浮かぶまでには、それなりに時間が経っていた。だから、つながる世界観のイメージは常にあるんです。でも、それがベスト・タイミングで出てくるときがいつなのかは、自分でもまったくわからないんですよね。
――そうですよね。歌詞のイメージは作曲と同時もしくは先駆けて浮かんでいたようですが、たとえば「大豺嶽(おおやまいぬだけ)~月夜(つくよ)に吠ゆ~」などは、どのように生まれたのですか?
浅葱:ニホンオオカミの妖の話にしたいなと思って、物語をまず考えて、場面に当てはめるような感じで各パートを作っていきましたね。狼ならではのワイルドさを意識した演奏やフレーズを考えたり。最後は離れ離れになってしまうんですけど、人を殺めてしまった狼の妖は白い狼なんですね。ところが、人の血で染まってしまったから、傷ついた自分を優しく手当してくれた主人の元を離れなければならなくなる。その去り際のシーンがすごく頭にあって。そこに向けて物語を作っていった感じですかね。
――このニホンオオカミは何の象徴なんですか?狼は神の使いのような捉えられ方をされるケースもすごく多いですよね。
浅葱:そうですね。そもそも狼という名前も、大口真神から来ているという説があるぐらいで。そこがやっぱり、自分の基盤にある聖書というものから軸はブレたくないというところなんですよね。その基盤の軸がなければ、タイトルも大口真神でよかったかもしれない。ただ、真の神というのは唯一の神であって、聖書にある神である。そういった意味で、昔の人が狼を崇めていたという話はもちろん知っているのですが、自分ならではの表現としては一線を引いた物語とする考えがあるんですよね。その中でどのようなメッセージを伝えるのか。そこが大事なんですよね。単純にそういう事実がありました、だからそれを書きましょうということではないんですよ、僕の表現としては。
それに狼って、悪役で描かれることも多いですよね。だけど、突然狼から人を襲った事実は基本的にほとんどらしいんですよ。
――そうなんですか?
浅葱:そう。だから、なぜ悪者に仕立て上げられたのかなっていうところから、自分なりのロック的な表現というか(笑)、反骨精神が生まれるんですよね。だとしたら、狼になって、その心情を描きたいなとか。僕の臨み方としては、そういうケースのほうが多いですかね。だから、「物の怪草子」も妖退治するという存在を描きながら、別の目線で妖という存在を描いてみたりする。そのどちらにも感情移入してるから、自分の世界の中で出会わせたくない気持ちもあるんですが(笑)、出会わせたとしても、そこにはドラマが欲しい。一言で妖といっても、残酷に人を殺めるようなものも、そうではないものもいる。その点で言えば、今後も追究していくと、まだまだ物語が出てきそうだなって感じはありますけどね、これだけやっておきながら。
――いや、逆に言うと、これだけやったからこそ、出てくるのではないですか? いくつかつながりのある楽曲はありますが、それぞれがここで完結していたとしても、この後はどうなるんだろうと、ついつい考えてしまう曲ばかりでしょう?
浅葱:それは嬉しいですね。でも、確かに余計に広がりますね。
――そう思います。『斑』のCDには、先ほどもちょっと話題に出た、歌詞の意訳が付属するそうですが、まずはそれに頼らずに聴いてみるのがいいのではないかと思うんですよ。そこでどこまで自分なりの光景が広がるか、浮かぶのかと。
浅葱:そうなんですよ。まさにおっしゃっていただいた通りで。まっさらな心でその音楽を聴いたときに、真っ白な心がどういう“斑”の色に染まるかなというのが、ある意味、すごく楽しみの一つで。
むしろ、今までは、知りたい人は追究してくださいというスタンスだったんですけど、もっと入口を広くしたい、どんなキッカケでもいいから自分の音楽に触れて欲しいという思いが、今回のソロ活動を始めてから強くなったんですよね。だからこそ、その人なりの音楽の楽しみ方に委ねてもいいんじゃないかなと思うようになって。今回は歌詞がついたMVを公開しましたけど、そういった部分でも、もうちょっとオープンという言い方が正しいかどうかわかりませんが、わかってもらうための手法というのを広げてもいいのかなと思うようになって。
だから、意訳があることによって、すごくわかりやすくなったと言ってくれる人もいるでしょうし、コアなファンのみなさんは、意訳などなくても、辞書とかで一所懸命に古語を調べてくれたりすると思うんですね。どちらもありがたいし、嬉しいことなんですけど、たとえば、何も考えずに、音だけ聴いて、歌だけ聴いて、すごくいいと思ってくれれば、それはそれでいいんだなと思うようになってきたんですよ、最近。英語を知っている人はともかく、洋楽のCDなどでも、意味がわからなくてもカッコいいなと思うこともあるじゃないですか。今回、古語をやってみて、そういうのも全然ありだなと思って。
今回の楽曲と同じように、人もそれぞれ個性があって、異なる輝きを放っていて、それぞれ音楽の楽しみ方がある。そんな意味でも、“斑”というタイトルはベストな言葉だったなと思うんですよね。楽曲が様々な色彩、輝きを放って一つの作品になっているという意味でもそうですし、人に置き換えたときに、“斑”であるということは、たとえば、ライヴ会場に様々な個性を持った、異なる環境の人が集まってくれているんだけど、自分の『斑』という世界の中にいて、それぞれが好きなように楽しんでいるというような。
――ええ。瞬時に意味がわからなかったとしても、逆にその声の表現が何を意図しているのか、感情面が素直に伝わるケースもあると思うんです。ところで、“斑”というタイトルにも関連すると思いますが、このアルバムの最後には「アサギマダラ」という、まさに浅葱くん自身を歌ったのであろうと思う楽曲が出てくるんですよね。少なからず死も連想させますが……。
浅葱:そうですね。ホント自分の中でも特別な曲になりましたね。もちろん、自分の名前が入っているというのもあるんですけど、メロディにしても、歌い方にしても、本来の自分というアーティストというのをすごく表現できている感じがしていて。だから、レコーディングしているときにも、とにかく入り込めていましたし……でも、この曲に入り込むたびに、すごく怖くなったりもして。大丈夫かな、この作品は出るのかなって。
――それはすごくわかるんです。最初に曲順表を見たときには、浅葱くんのソロ・アルバムで、“斑”というタイトルのアルバムだから、こういう名前の曲を最後に置いたのかなと思ったんです。ところが、聴いた後には、なぜこの曲を入れたのかなとさえ思いましたよ。それは今の話と同じですが、遺書のような強い志を感じましたし、何だか不吉な気もしましたからね。
浅葱:わかります。そうなんですよ。おっしゃるとおりで、できちゃったなって思ったときに、死を感じたんですよ。「アサギマダラ」のミックスが最後だったから、余計に怖くて。この先、作業ができなくなるような……。
ずっと僕はオーバーワークというか、過労なんじゃないかと思うことが多々あるので、突然死というのも怖いなと思ったりして。過密スケジュールというのもあったかもしれないですけどね。今はだいぶ落ち着いてきたんですけど。だから、(最終工程の)マスタリングが終わったときは、「よかったぁ」と思いましたね。ここで俺が死んだとしても、この作品は世に出るんだと思って安心して(笑)。死ぬのが怖いというよりも、とにかくこれだけ愛情を込めて作ったものを世に出したい意識のほうが強かったですからね。
初のフル・アルバムでありながら、「アサギマダラ」で締める……やりきったときには、今までにない感覚がありましたね。時々、自分が完璧だと思うものができたとき、そういう感覚が訪れるんですけど、「アサギマダラ」に関しては、今まで以上に強かったですね。一つの芸術作品を表現した、自分というものを出し切ったときのいわれのない恐怖というか……考えすぎなんでしょうけどね。
「アサギマダラ」のミックスは比留間(整)さんにお願いしたんですが、マスタリングのデッドの当日のホントにギリギリまでやってましたね。ここの0.1デシベルが気になるとかって……比留間さんにそろそろ怒られるんじゃないかなと思いながら進めてました(笑)。でも、一つの悔いも残らないものができましたし、ここまで付き合ってくれる方々にもホントに感謝ですね。自分でも嫌になるぐらい神経質な性格だと思うので(笑)。でもね、例えば僕の歌録りにとことん付き合ってくれて、MIXもしてくれている田本君もプライベートでも斑をほぼ毎日と言っていいぐらい「斑」を聴いてると言ってくれていますし、D MIXをずっとやってくれている石渡さんも、ソロをMIXしてくれた後も車とかで聴いてくれてると聞いてすごく嬉しかったです。こんなに一緒に同じ曲を何回も何回も繰り返し聴いてきたはずなのにプライベートでも聴いてくれるんだ!?って。つくづく僕は恵まれていると思いますよ。感謝です。
で、話は戻りますが「アサギマダラ」は、もともとDの「蒐集家」(2006年)という曲との関連があって。当時も『MAD TEA PARTY MAGAZINE』で「蒐集家」の短編小説を書いたりもしてたんですけど、そのときにすでに「アサギマダラ」の世界観はあって、いつか表現したいなとは思ってたんですね。それも今回、これしかないなというタイミングで出てきたし、やっぱりそういう機会は自然と訪れるんだなぁって思いましたね。結果的に、それがアルバムのコンセプトにも合っていて、これしかないというタイトルでも、そこに関連づけさせることができた。前からある世界観だったから、これまでにやっていても不思議はないと思うんですよ。でも、そうしたら、今回は“斑”というタイトルにもならなかったし、このアルバムの最後を飾るトリの曲にもなっていない。そう考えると、やっぱり……何かあるのかもしれませんね。
――浅葱くんの揺るぎない原点の歌でもありますよね。そこで気になったのが、浅葱というアーティスト名は、もともとどんな意味を込めてつけたのかなとも思ったんですよ。
浅葱:自分というものを表現する色って何なんだろうと思ったときに、この色だったんですよね。自分が思い浮かべるすごく好きなものって、自然なんですよ。海とか森とか……風には色はないですけど、風の色が僕の中では浅葱色だったんですよね。海と山に囲まれた、自然の中で育ってきた自分を表現しようと思ったとき、浅葱という言葉がすごくしっくりきた。だから、風を感じるという意味でも、この曲の最後に<浅葱の風>というフレーズを入れたいなと思いましたし……癒やしを求めてるんでしょうね、自分は。
――何らかの癒やしを?
浅葱:ええ。心の安らぎというか。そういうものを求めたときに、自分の故郷、海、森、風……そういったものが、浅葱という名前になったという。人生は何があるかわからないから、いつでもその作品が最後だと思うような意気込みじゃないと、世に出したくないし、世に残らないだろうと常々思っているんですよ。完成して、「アサギマダラ」という曲で締め括るものができてよかったなぁと思いますね。
――話が遡ってしまいますが、『斑』には全編で、琴、太鼓、三味線などの和楽器の音がふんだんに盛り込まれていますよね。「月界の御子」ができたときから、そういう音像はアイデアとしてあったのだと思いますが、ただ普通に曲を書いて、和楽器の音を入れれば、和もしくは日本という雰囲気になるのかというと違うでしょう?
浅葱:そうなんですよ。単純に和楽器を入れたら和を表現しているのかとか、着物を着て扇子を持ったら和を表現してのかとか、わざとらしいのは嫌いなんですよ。ちゃんとそこに核があるのか。そこが何よりも大事なんですよね。ただ、残念ながら、ヴィジュアル系というシーンでは、それが伝わりにくいところもある。そこはすごく悩みどころではあるんですよね。なかなか核に迫ってくれる人が少ないというか、気づいてもらいにくい。
――ええ。玉石混淆というのか、いいも悪いもみんな混ざってしまってわからないような状況でしょうからね。実際、どれがとってつけたような曲で、そうじゃないものはこれですと、比べて聴かせるわけにもいかないですし。
浅葱:そうですよね(笑)。岡野さんもそういった話をされてたんですよ。でも、浅葱くんのは本物だと言ってくださって。これは正しく日本の伝統を継承している、表現しているし捨て曲なしだね。とか、すごく嬉しいお言葉をくれたんです。自分の世界観というものを、岡野さんはすごくわかってくれて、必ずそれに対するアレンジとかアイデアが、僕の世界とリンクしてくるんですよ。だからこそ、岡野さんはパートナーとしては最高だなと思うところなんですよね。
いかに景色を見せるかということを考えたときに、その音がマッチしてないと、その景色は絶対に見えてこない。そこはすごくこだわったところではありますね。たとえば「蛍火」だったら、牛若が横笛を吹いているようなイメージの笛を入れたいと考えたときに、まず弁慶と出会う橋の景色を琴で表現してから、牛若が出てくるシーンにしようと。そこでこのようなイントロになったんですが、必ず意味がそこにはあると言うんですかね……。
――ええ。単純にこういうメロディが思い浮かんだから、それを和楽器で鳴らそうという考え方ではないんですよね。
浅葱:そうです。その景色を表現するために、自然と「それしかない!」というフレーズがそこに当てはまるというか。もちろん、まず笛にフィーチャーして、そこから編んでいくこともできるんですけど、やっぱり橋を先に見せるといった、そのシーンとリンクさせていく。もちろん、それは和楽器に限った話ではないんですけどね。キメ一つとっても、「鬼眼羅」って4つの動物が組み合わさった妖なんですけど、音の表現として、ダッ、ダッダ、ダダダッ、ダダダダッというように、ちゃんと1、2、3、4と意味のある響きにしたくなるんですよ。意味を持たせることによって出てくる答えというか。
「アサギマダラ」の話に戻っちゃうんですけど、アサギマダラってフワフワ飛ぶ蝶なんですね。その感じを出そうと思ったときに、あのイントロのストリングスのフレーズが思い浮かんだりとか、サビのメロディの感じもそうなんですよ。たとえば、幼虫、蛹、成虫という過程をAメロ、Bメロ、サビで表現する……イメージしづらいかもしれないですけど、Aメロは幼虫が歌っているから、ああいう歌い方だったんですよ。あまり口を開けずに、ちょっとモゴモゴしているように聞こえるんだけど、アサギマダラの幼虫は毒を食べて成長していくんですが、毒を含みながら生きていく感覚ってどういうものなんだろうと考えたときに、歌の表現としての在り方が見えてきて。サビで一気に成虫になって羽ばたくというのをイメージしたときには、蛹からの羽化ということで、一気に気持ちがはやるんですね。成虫になった、つまり、<旅立つ>という力の入り方は、その過程をイメージすることでより表現できる。ただメロディを声に置き換えただけのものとは、伝わり方は全然違うと思うんですよね。
――そう思います。「妖刀玉兎」では、能や狂言などの日本の伝統文化を踏襲した歌い方が出てきますよね。
浅葱:はい。絶対に「物の怪草子」につなげようと思ってたんですが、日本の伝統文化には、動かない美学みたいなのってあるじゃないですか。それは日本ならではだなと思うんですよ。だから「妖刀玉兎」は動かないところから始まろうと思ったんですね。月の御殿に収められている月の宝である刀を手にして、物の怪退治をするんですけど、最初は動かないで歌い上げて、刀を手にしてから動きをつけていこうと。だから、声の感じも、メロディのあるところとないところでは変えてみようと。その「妖刀玉兎」が終わって、「物の怪草子」に入ったときには、より「妖刀玉兎」も魅力的に映るんじゃないかなって。
この曲ならではの歌い方と言えば、基本的に僕は、メロディに対してしっかりと言葉を当てはめていくんですが、そうではない、 “ニ~イ~”とか“オ~オ~”みたいな声でしょうね。ここも日本ならではの表現だと思いますし。最近の音楽だと、ほとんど聴くことがないものだと思うんですよね。僕が知らないだけかもしれないですけど。
――40人ものゲスト・ミュージシャンを一人ずつ語ってもらうわけにもいかないですが(笑)、この顔触れを見て面白いのは、浅葱くんの人脈が見えてくるところですよね。
浅葱:ホントにありがたいですね。みなさん素晴らしい演奏をしてくれて。
――その素晴らしい演奏の中で、あえて一つ特筆したいのは、「畏き海へ帰りゃんせ」の岡野さんのベースですよね。
浅葱:すごいですね。SUGIZOさんも「だって岡野さんだもんね」とおっしゃってました。若かりし頃に、自分的な理由で封印したフレットレス・ベースを、何十年ぶりかに弾いたらしいんですよ。でも、その封印したという思いが、ずっと引っかかってたらしいんですね。そこで「畏き海へ帰りゃんせ」でフレットレスを弾いてみたいなと思ったことによって、その封印が解かれたらしくて、「機会があって良かった、ありがとう」って言って頂けました。自分の中で、フレットレス・ベースっていうものの納得のいく表現がこの曲で出来たと。ホントに素晴らしいベースですよね。こちらこそありがとうございます、と。
――このアルバムの楽器の音で言うと、あそこに勝るものはないというぐらいの印象深い存在感ですよ。
浅葱:そうですね。まさに人魚を思わせるんですよ。下半身のぬめっとした感じとか、ビチビチ感というか、曲線だったりの表現が、まさにフレットレス・ベースだからこそリアリティが生まれたと思いますね。
――SUGIZOさんはギターではなく、ヴァイオリンでこの「畏き海に帰りゃんせ」に参加しているのもポイントでしょうね。
浅葱:本当に素晴らしいヴァイオリンですね。全く非の打ち所のない完璧な芸術。物語の背景は夜の海で、しかも月も照っている。この曲はSUGIZOさんしかいないと思ったし、様々な捉え方ができるようなアートを作り上げる手腕はさすがだなと改めて思いました。月や海を思い浮かべることができるのもそうですし、海鳥の声が聞こえたりするのもそう。メロディアスなところは人魚が歌ってるような感じにも聞こえるし、ヒステリックなところは人魚の叫びにも聞こえるし。ホントに細かい性格の自分が何一つ触ってはいけない状態のものが仕上がってきて。LUNA SEAは学生時代からの憧れでしたから、SUGIZOさんにも真矢さんにも感謝の気持ちでいっぱいなんです。自分の作品に参加していただけるなんて夢のようでとても幸せです。
――的確な人選でもあったわけですね。さて、『斑』を引っ提げてツアーも行われますが、東名阪のみといった規模ではなく、かなり本数も多いですね。
浅葱:そうですね。次にいつできるかわからないですし、たくさんライヴをしたいなと思ったんですよ。ある程度の数を積み重ねることで見えてくる景色もあるでしょうし、何しろ初のソロ・ワンマンは今しかないですからね。だから、自分がこれだと思うものを見せる。それをまず創り上げるのが楽しみの一つで。この『斑』の世界観をどう表現するのか……今度はライヴでそのあるべき姿を形にする。自由に楽しんでもらえればなと思いますが、「来てよかった!」と思わせるものにしたいですね。残るはファイナルのみですが映像化する予定なので、共に斑の空を描く為に是非逢いに来てください。

取材・文/土屋京輔


2018.01.31 Release
“浅葱” メジャー1st Full Album 「斑(まだら)」 AL+DVD
avex内レーベル「HPQ」/YICQ-10401/B/POS:454211410401/5/¥4,000(本体価格)+税
[CD]全13曲
1. 天地(あめつち)行き来る小船/2. 月界の御子/3. 畏き海へ帰りゃんせ/4. 花雲の乱/5. 隠桜(おぬざくら)/6. 螢火/7. 大豺嶽(おおやまいぬだけ)~月夜(つくよ)に吠ゆ~/8. 冬椿 ~白妙の化人~/9. 白面金毛九尾の狐火玉/10. 鬼眼羅(きめら)/11. 雲の通ひ路/12. 物の怪草子/13. アサギマダラ
[DVD]
DVD-1. 月界の御子 (Music Video)/DVD-2. 月界の御子 (Music Video with lyrics)/DVD-3. 月界の御子 (Music Video Making)
“浅葱” メジャー1st Full Album 「斑(まだら)」 CD
avex内レーベル「HPQ」/YICQ-10402/POS:454211410402/2/¥3,000(本体価格)+税
[CD]全14曲
1. 天地(あめつち)行き来る小船/2. 月界の御子/3. 畏き海へ帰りゃんせ/4. 花雲の乱/5. 隠桜(おぬざくら)/6. 螢火/7. 大豺嶽(おおやまいぬだけ)~月夜(つくよ)に吠ゆ~/8. 冬椿 ~白妙の化人~/9. 白面金毛九尾の狐火玉/10. 鬼眼羅(きめら)/11. 雲の通ひ路/12. 妖刀玉兎(※通常盤のみ収録)/13. 物の怪草子/14. アサギマダラ
初回特典:トレーディングカード封入(2形態とも)
(全3種類よりランダム1枚)


"浅葱" 全国単独公演 二〇十八 「斑(まだら)」

11/ 1 [水] 新横浜N【千秋楽】
■2018年3月24日 (土) 新宿BLAZE
【開場/開演】 17:30/18:00
チケットぴあ 0570-02-9999 Pコード:347-554
ローソンチケット 0570-084-003 Lコード:70058
イープラス http://eplus.jp (PC・携帯共通)
【問】DISK GARAGE/TEL 050-5533-0888

<Ticket>
【料金】 前売 ¥4,700 (税込)/当日 ¥5,200 (税込)
※別途ドリンク代必要

―Tour Support Member―
Gt. HIDE-ZOU (D)
Gt. MiA (MEJIBRAY)
Bass. 亜季 (Sadie / AXESSORY)
Dr. HIROKI (D)


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ASAGI -SOLO WORKS-


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